和泉響の東京風流記

東京での日々の趣味、雑学をエッセイに。

平和島骨董まつり雑感、陰翳礼賛、購入品

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2021年度3月、平和島骨董まつり参加 - 和泉響の東京風流記

平和島骨董まつりのHPです。

日本国内で最も古い室内骨董イベント 伝統と信頼の「平和島骨董まつり」主催 株式会社骨董市

 

平和島骨董まつりに参加した雑感です。

明治期の文豪、谷崎潤一郎は「陰翳礼賛」の中で、日本人は光より陰の中に美を見ると記していました。

まだ電灯がなく、蝋燭の暗がりの中で生活していた時代、かすかに揺らぐ火に照らされた物の陰翳に、美しさを見出し、長くそれが日本人の美意識の根源であったと。

西洋は汚れなき煌びやかさを美と見、日本人は汚れさえも引き受けて美を見出す。

 

わたしは民族の美意識は、生活の根源ではないかと考えています。

煌びやかさ、華やかさを美徳と見る米国人は、ハリウッド映画に見られるようにタフで、前に出て、確固とした主張をする事が良しとされる。

一方、日本人は陰の中にある美しさ、一歩引いて調和を保ち、謙虚である事が美徳とされる。

 

その価値観が現代社会でもはや通用するのかは疑問ですが、経年によるくたびれ方を風格と感じるのは、日本人の特性かも知れません。

アンティーク、ビンテージ、骨董に限らず我々は長年大事に使われた物の、手入れされたのちに残る汚れにさえも美を感じ珍重します。

たとえばデニムジーンズのように。

 

おそらくそれが、千利休の提唱した茶道の「侘び寂び」に通じているのではないかと思いました。

陰、光に隠された部分にこそ美を見出す。


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西洋のアンティークはその点、古物でありながらも純白の皿、瀟洒な装飾品など、明らかに陰を消し光を保つ事を大事にしている。


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わたしは会場でかなり若い方(三十代なかばですが)に属していました。

若い方々が骨董に目を向けないのは、現代の西洋化に伴い、陰翳の美しさが忘れられているからかなあ、と考えると、少し寂しい気になります。

 

それは東京の表参道の、現代美の最先端といえるブランドショップが並ぶ、清潔で華美で誇らしげなビル群が並ぶ通りと、そこを行く人々のアメリカナイズドされた表情を眺めつつ、てくてくと歩いていた時に感じた寂しさと、どこか似ていました。

 

そこにはある美しさは、もちろん美は価値観ですから優劣はないのですが、美しい夕焼けを見た時のような、本当に綺麗だとわたしの日本人的感性に訴える、少しだけ哀しみを帯びた美がなかったのです。

まあ当たり前ですが。

 

わたしの審美眼はとうぜん稚拙ですが、逸品を見て真に心に来る感動を追いかけようと思いました。

 

 

追記。
骨董まつりで購入したもの。


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幸兵衛窯、伊賀焼の新佳三さん作のぐい呑二点。

本当は一個だけ買うつもりだったのですが、

「一点三千円、二点なら五千円だよ」といわれ、値引き交渉してしまい四千五百円で買ってしまいました(^_^;)

 

どちらも作家物で、新品なら一万五千円〜二万ほどします。

 

安く良い物が買えて、おまけに酒が美味い!

骨董最高!

 

機会があれば、ぜひ参加してみてください😊